はみだしぶろぐ

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寒暑風湿をこころよく感じるという生き方 野口晴哉語録『養生訓』から

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こんにちは、はみだしぶろぐ(@hamidasiblog)と申します。

 

みなさんは、これまでの人生の中で、言葉に救われるという経験ありますか?

 

 

プロフィールでも紹介してますが、私は精神疾患や交通事故というアクシデントにみまわれ人生の中でも、まさにどん底と呼べる窮地にたったことがあります。

痛む首の神経痛、妻の精神疾患の発症、金銭面での困窮といった苦難が同時に襲ってきました。

そんな本当の窮地に立った時、藁をも掴む思いで、必死にいろいろな情報を集めました。

そんな時に、野口晴哉語録『養生訓』という言葉に出会いました。

 

その言葉に心の底から、感激し、救ってもらった、助けてもらったと思っています。

そんな、自分の人生にとってかけがえのない言葉をみなさんに紹介したいと思います。

 

目次

  

野口晴哉とは

野口 晴哉(のぐち はるちか、1911年9月(明治44年) - 1976年6月22日(昭和51年))は、日本の整体指導者で野口整体の創始者です。

公式サイトが存在し、くわしい生い立ちは、以下のリンクで読むことができます。

野口晴哉 公式サイト ヒストリー

 

典型的な理系脳だった私

私は典型的な理系の学歴でして、国語がどちらかというと苦手で、あまり読書をするほうではありません。

文学や言葉によって心のそこから気持ちが大きく動かされるという経験がありませんでした。

 

日々の忙しさで薄れていた生き物としての感覚

サラリーマンとして、仕事に没頭し忙しく会社の行き来をしていた時は、自然を感じるという機会を持てませんでした。

また、積極的に持とうという意識も低かったです。

 

首の神経障害によって、初めて味わった気候の影響に対する感度

交通事故のよっておった首の神経痛。

その時初めて気候の影響を身を持って感じました。

整形外科のリハビリに毎日のように通っていたのですが、自分が調子が悪い日は周りの高齢者を中心とした患者さんも調子がわるいのです。

影響を与えているのは、気温、気圧や天気といった自然の気候の影響でした。

野口晴哉語録 養生訓に出会う

首が痛いので、いろいろな痛みに対する対処法を探す日々が続きました。

そのなかで、「野口整体」及び野口晴哉の存在とその語録『養生訓』と出会いました。

 

野口晴哉語録 養生訓

全文はかなり長いので、特に気に入っている部分を一部を引用し、全文をページの最後にも記載させていただきます。

何を食っても旨く 如何に働いても疲れず どんな場処でもグッスリ眠れ
少ない食物からでも栄養を豊富に得 短い時間の眠りで新しい元気を得
働いて疲れず 眠って夢見ず 寒暑風湿を快く感ずるよう生くることが
何よりの養生であるのだ
寒暑風湿を避け 眠りを多くし 働くを少なくし 食うを多くし
不平を大にして生きてゆくことは 不養生のもっともなるもの

この文を読んで、心底自分の今までの生き方は不養生そのものだったなと思いつまされました。

そして、生まれて初めて言葉というもので心が心底動かされ、号泣しました。

特に寒暑風湿を快く感ずるという一節。

自然を感じるということが人間にとっていかに重要なことかあらためて考えさせられました。

 

養生するということ

 養生とは

生を養うこと。すなわち人間の身体の状態を整えること、健康を増進すること、病気の自然治癒をうながすことなど。

私はこの養生訓の全文を、持ち歩いている手帳のマンスリーカレンダーの裏に貼って辛い時に読むようにしています。

そして、辛いことがあるとこの文を見返し、人生の中でもどん底だった時のことを思い浮かべてます。

そうすると、辛い出来事もあの時よりはましと思えたり、この経験がのちの糧になると思えるようになりました。

 

この言葉は、私にとっての価値観・オピニオンに最も影響を与えた言葉だと思います。

 

野口晴哉語録『養生訓』

 

養生とは人間の生命を輝かすことだ
人間の生くる処を拡げ人間の活き活き生くる道を養生というのだ

 

養生を目して 可し可からずの集積のように考えるのも間違いなら
可し可からずを養生とすることも間違いである
何を食っても旨く 如何に働いても疲れず どんな場処でもグッスリ眠れ
少ない食物からでも栄養を豊富に得 短い時間の眠りで新しい元気を得
働いて疲れず 眠って夢見ず 寒暑風湿を快く感ずるよう生くることが
何よりの養生であるのだ
寒暑風湿を避け 眠りを多くし 働くを少なくし 食うを多くし
不平を大にして生きてゆくことは 不養生のもっともなるもの

 

無病であろうとし 無事を保とうとして 之れらのことなしても
矢張り不養生なることは同じ 人間を萎縮せしむるものだ
人間の生くる場処を狭くするものだ
人間から溌剌として生くる元気を奪うものだ
養生とは無事を保つことではない
養生は無理を無理なく用うることだ
無理のない養生は不養生の一つだ
護ることもとより大切だが 鍛えることはもっと大切だ
鍛えるということの出発点は心にある
行為そのものに鍛えるということがあるのではない

 

断食して丈夫になる人あり 餓死する人あり

 

食いたくとも食わぬ人には断食は健康法になり
食いたいのに食えぬ人は餓死する
生と死の境「わ」と「え」のみ
養生の第一歩は心の「わ」と「え」を切替えることにある
「え」から出発した如何なる行為にも鍛えるということは含まれてはおらぬ
「わ」から出発した如何なる行為も人間を鍛える

 

人間の体自身 髯をそれば濃くなり 腕を使えば太くなるように出来ている
人間のもつ自然の力を溌剌と伸ばすことに 
養生の養生という所以があることを忘れてはなるまい

 

引用元

公益社団法人整体協会